ドーピング
嫌な言葉だ。今年のツールも有力選手がチームごと撤退するなどドーピングでレースをつまらなくしている。
このドーピング、定義によって解釈がとても難しいけど、EPOなどあきらかに薬物として故意に身体能力を高めるために使用するならそれは自分の仕事を放棄しているのと同じだと思う。
今日は店舗はお休み。自宅でのちょっと辛口発言、ご容赦を。
さて、大上段に構えてあえて言ってしまうけど、プロである彼らはスポンサーからの資金提供でレースを走っている。スポンサーはもちろん自社の広告として資金を提供している。これは、彼らが活躍することで彼ら自身が媒体となり、それが強いてはスポンサーの業績につながるわけだが、ドーピングを行う行為は本末転倒、スポンサーのイメージダウンにつながりスポンサーに不利益を与える何ものでもない。
昔聞いたことがある陰鬱なこんな話。ソ連や東ドイツなど共産圏の選手が活躍していた当時は、会場でトイレに行くと注射針とかアンプルとかが落ちていたそうだ。その選手は言っていた。俺はこんな選手達と一緒に走るのかと。当時は国家プロジェクトとしてドーピングを行っていたわけですね。
そして誰かがこうも言っていた。面識はないけど興味があったから記憶に残っている。ドーピングが今ほど厳しい時代ではなかったその当時、みんながやるからやらなければ成績は残せない世界なんだというその言葉に、プロの影の部分を感じてしまった。もちろん良識あるその選手は、ドーピングを受け入れることができずに短い選手生命で終わってしまったが、全員がフェアプレイで走るならばもっと活躍していたことだろう。
フェアプレイ、スポーツの世界はこれが基本だと思う。誰かを出し抜いて実力以外の部分で自分が優位に立とうなんて考えがあるならば、人を感動させるなんてことは到底できないのはもちろんだ。ドーピングにはかなり厳しくなった現在もまだこの問題を絶つことが出来ないでいる。今はチームの中でドーピングコントロールが進んでいる時代だから、薬物に依存するのは選手個人の問題なのだと思う。その選手は自分に力がないと思うから、自分よりも強い選手に勝つためにドーピングをするのだろうか? 勝利という名誉を得るために不名誉な行いをしているのだとしたら、その選手は何のために競技生活をしているのだろうか?自分の職を追われてしまうかもしれない行いに価値があると思うだろうか。我々に夢を与えてロードの素晴らしさを教えてくれる彼らがその夢を我々から奪ってしまうのだとしたら悲しすぎる。
昔のツールはおもしろかった。マシンも選手の能力もはるかに現代のほうが高いだろうけど、私は昔のほうが熱中できた。写真は今から20年程前私が競技から離れていた時にもう一度ロードの楽しさを与えてくれた雑誌の上表紙です。インデュラインの時代を迎える少し前のこの当時、デルガドが居た。山岳王のヘレラが居た。フィニョンもまだ力が衰えてはいなかった。3冠を達成したロッシュも私達を熱くさせてくれた。他にも何人か好きな選手が居たが、インデュラインの時代が終焉を迎えてからは、レースの記事を読んでも私の中には熱くなれる選手は見当たらない。現在は人間臭さが薄れてあまりにシステマティックになりすぎた感がする。
このドーピング、定義によって解釈がとても難しいけど、EPOなどあきらかに薬物として故意に身体能力を高めるために使用するならそれは自分の仕事を放棄しているのと同じだと思う。
今日は店舗はお休み。自宅でのちょっと辛口発言、ご容赦を。
さて、大上段に構えてあえて言ってしまうけど、プロである彼らはスポンサーからの資金提供でレースを走っている。スポンサーはもちろん自社の広告として資金を提供している。これは、彼らが活躍することで彼ら自身が媒体となり、それが強いてはスポンサーの業績につながるわけだが、ドーピングを行う行為は本末転倒、スポンサーのイメージダウンにつながりスポンサーに不利益を与える何ものでもない。
昔聞いたことがある陰鬱なこんな話。ソ連や東ドイツなど共産圏の選手が活躍していた当時は、会場でトイレに行くと注射針とかアンプルとかが落ちていたそうだ。その選手は言っていた。俺はこんな選手達と一緒に走るのかと。当時は国家プロジェクトとしてドーピングを行っていたわけですね。
そして誰かがこうも言っていた。面識はないけど興味があったから記憶に残っている。ドーピングが今ほど厳しい時代ではなかったその当時、みんながやるからやらなければ成績は残せない世界なんだというその言葉に、プロの影の部分を感じてしまった。もちろん良識あるその選手は、ドーピングを受け入れることができずに短い選手生命で終わってしまったが、全員がフェアプレイで走るならばもっと活躍していたことだろう。
フェアプレイ、スポーツの世界はこれが基本だと思う。誰かを出し抜いて実力以外の部分で自分が優位に立とうなんて考えがあるならば、人を感動させるなんてことは到底できないのはもちろんだ。ドーピングにはかなり厳しくなった現在もまだこの問題を絶つことが出来ないでいる。今はチームの中でドーピングコントロールが進んでいる時代だから、薬物に依存するのは選手個人の問題なのだと思う。その選手は自分に力がないと思うから、自分よりも強い選手に勝つためにドーピングをするのだろうか? 勝利という名誉を得るために不名誉な行いをしているのだとしたら、その選手は何のために競技生活をしているのだろうか?自分の職を追われてしまうかもしれない行いに価値があると思うだろうか。我々に夢を与えてロードの素晴らしさを教えてくれる彼らがその夢を我々から奪ってしまうのだとしたら悲しすぎる。
昔のツールはおもしろかった。マシンも選手の能力もはるかに現代のほうが高いだろうけど、私は昔のほうが熱中できた。写真は今から20年程前私が競技から離れていた時にもう一度ロードの楽しさを与えてくれた雑誌の上表紙です。インデュラインの時代を迎える少し前のこの当時、デルガドが居た。山岳王のヘレラが居た。フィニョンもまだ力が衰えてはいなかった。3冠を達成したロッシュも私達を熱くさせてくれた。他にも何人か好きな選手が居たが、インデュラインの時代が終焉を迎えてからは、レースの記事を読んでも私の中には熱くなれる選手は見当たらない。現在は人間臭さが薄れてあまりにシステマティックになりすぎた感がする。